プロフィール

鍼灸マッサージ師 廣明晴美

鍼灸マッサージ師の廣明晴美です。

愛知県出身、名古屋市の鍼灸学校を卒業後、結婚を機に2014年富山へ移住。

2016年に長男を出産。2021年に次男を出産。
やんちゃな二人の男の子の母ちゃんです。

私の経歴をご紹介します。長文ですので、お時間がありましたらお付き合いください。

OLを辞め、山籠もり生活へ

高校卒業後、一般企業に事務員として就職しましたが、三年程経った頃、友達と旅行で行ったスノーボードにハマり会社を辞めました。

毎日スノーボードができる環境に身を置きたいと安易に考え、スキー場へ住み込みバイトへ。

その後、10年近くそんな生活を続けました。

毎日が新鮮で楽しくてしょうがない日々でした。
この期間の中で、インストラクター資格や、スノーボードクロスという競技ではプロ資格も取りました。
最高では全日本プロランキング2位、2009年新潟トキメキ国体ではスノーボード初開催の中、スノーボードクロス競技で7位入賞を収めました。

選手生活をしていたので、自分の身体のケアも必要でした。
元々、健康大好きな私でしたが、スノーボードをしていたからこそ、体に関心を持つきっかけになったと思います。

そして、周りの人へマッサージをすることも好きでしたので、それが今の職業に繋がったのかもしれません。

31歳で学生になる、一生の仕事、鍼灸の道へ

30歳で現役を引退し、その後何をするかを考えた時、手に職をつけて一生の仕事を持ちたいと思いました。

 

そんな時に、3年程前に姉と一緒に行った鍼灸専門学校の体験入学を思い出しました。
鍼をスポンジのような台座に刺す体験をしたのですが、

”この鍼が実際に人の身体に入るってちょっと怖いけど、これで痛みがとれるなんて不思議だなぁ”
”私もこの道を究めてみたいけど無理だよなぁ”

と以前は思っていました。

 

「ツボ」「経絡」等というワードが好きで以前から本を読んだりしていたので、これをちゃんと勉強したい、自分の手で行う施術で周りの人が元気になってくれたら最高だと思いました。

31歳で一念発起。鍼灸学校へ三年間通いました。

後にも先にも、人生で一番勉強をした期間だったと思います。

生理学、解剖学などの体についての基礎はもちろん、鍼灸や按摩の歴史、手技、作用、一般的な疾患、法律、衛生学など幅広く学びました。

元々、勉強は好きではありませんでしたが、自分の志す分野を学べる時間はとても充実していました。

今でも、時々学校に通いたいと思う時があるくらいです。

学校が終わると急いで自宅へ帰り、夕方は自宅の近くの鍼灸整骨院で二年間修業をさせて頂きました。

実際に様々な痛みを抱えている方への施術サポートをし、今の自分のマッサージの基礎や施術所でのサービス、対応などを教えて頂いたと思っています。

訪問マッサージというお仕事

そして、34歳で無事に鍼灸師、按摩マッサージ指圧師の国家資格を取得しました。

卒業後は結婚を機に富山へ移り住みました。
富山では、訪問マッサージの会社で5年間勤めました。

高齢者やご自宅で療養している方のお宅へ訪問し、健康保険を使って20分程マッサージや鍼灸をするお仕事です。
多い時では、一日10件以上訪問することもありました。

脳梗塞で麻痺のある方や、認知症の方、脊髄損傷の方など様々な病気や障害を抱えている方がいらっしゃいました。
病気についての知識だけでなく、実際にお身体に触れさせて頂く事で、貴重な臨床経験を沢山させて頂きました。

定期的にお宅へ入らせて頂く事で、ご家族のように身近に感じて下さったり、訪問を心待ちにしていてくれたり、たくさん感謝されるお仕事でした。

こんなにも自分を必要として下さり、嬉しい限りでした。

今まで様々な職種を経験しましたが、こんなにもダイレクトに感謝をされる仕事は初めてでした。

仕事の合間には、堀川小泉にある夢恵堂鍼灸院の津田先生が支部長を務める東方会の勉強会で現在の施術のベースを学びました。

また、より専門性をもって妊娠希望の女性達や妊婦さん、産後ママに対応できるよう産婦人科鍼灸も学んでいます。

日々勉強、一生勉強!

これからも施術に生かせる知識の引き出しを少しでも増やし、多くの方へ還元していけたらと思っています。

第一子は頑固な逆子ちゃん

結婚後すぐにでも子供が欲しく妊活に励んでおりましたが、なかなか授からず2年の月日が流れていました。
婦人科で一通り検査を受けましたが特に異常は見当たらず。
タイミング法を長い間続けましたが妊娠には至らず。

気分を変えようと病院通いを一旦お休みし、仕事のボリュームを減らそうとパート勤務に変更した直後、36歳で自然妊娠。

元々スポーツ選手でしたし、妊娠中も体調に気を遣い毎日歩いていましたので、自分は安産だろう、その為に努力はしてきていると思っていましたが、そう甘くはありませんでした。

妊娠中から便秘、貧血、逆子、妊娠高血圧症と様々な不調に悩まされました。

特に逆子に関しては、改善の為に良いとされる事は色々手を尽くしましたが、
全く効かず。

逆子にはお灸が効くと学校で習いましたので、自分の身体を使い実験を兼ねて毎日せっせと足にお灸をしましたが、戻る気配はありません。

なんで?どうして治らない?私の何がいけないのか?と、悲しくなりました。
週数が進むにつれ帝王切開の可能性が増してくると、焦りを抑えられませんでした。

いくつか有名な先生のいる鍼灸院へ通ったりもしましたが、最終的には戻りませんでした。

今、思えば赤ちゃんには赤ちゃんなりに逆さまになっている理由があったのかもしれません。
その方が、居心地が良かったのかもしれません。

自然には逆らえない事がある、という事もこの時に学んだ気がします。

結局、逆子をお腹の上から直接回し、胎児の頭の位置を矯正する外回転術という方法があることを知りました。
里帰り出産でしたので、愛知県で外回転の名医がいる産婦人科を探しました。
自宅から車で一時間かかる、近くはない場所でしたが、該当する産婦人科を見つけました。

希望の光が見えた気がしました。

その時は既に妊娠36週でお腹は張ちきれんばかりです。

自然出産を希望していた私にとって、逆子で帝王切開になることはどうしても避けたいと思っていました。

そして藁をも掴む想いで、外回転術を受けました。

診察室に入ると、ベテランの匂いを醸し出すおじいさん先生が処置をしてくれました。

私のお腹に手を当て、赤ちゃんの頭の位置を確認しゆっくり回すように押していきました。

想像以上に痛みはなく、5分足らずで終了。え!?これで終わり?

エコーで確認すると、無事に赤ちゃんの頭の位置が変わっていました。びっくりでした。

嬉しさもありましたが、その後数日はまた戻ってしまうんじゃないか、という不安が付きまといます。

しかし、その後戻ることはなく赤ちゃんはしっかりいい位置でおさまってくれていました。

私の場合、結果的には鍼灸で逆子は直りませんでした。

ですが逆子がきっかけでいくつかの鍼灸院で 施術を受け、素晴らしい先生方との出会いがありました。

初めての妊娠で不安な事も多く、逆子を直す為だけに頭でっかちになり焦っていた私に、身体の治療だけではなく話をしっかり聞いて私の心に添ってくれた時は涙が出るほど嬉しかったです。

妊娠中、鍼灸をしていたお陰で出産予定日前日には陣痛が始まり、その後順調にお産は進みました。

そして予定日ぴったりに、希望通り下から産むことができたのです。

子供を初めて抱いた時は感動と安心が混ざり合い、今までに経験したことがないような想いになりました。

また、産後で便秘がひどかった時にも鍼灸には助けられました。
たかが便秘ですが、夜中、子供をやっとの思いで寝かしつけ、自分もやっと寝られると休んでいる時にお腹の痛みで目が覚め、もがき苦しんで辛かった事は、今でも鮮明に思い出せます。

42歳でのぞんだ【命がけ】の第二子出産体験

年齢的にも、ゆっくりとしている時間は無かったため、第二子は人工授精にトライしました。

すぐにはうまくいきませんでしたが、四度目で授かることがきました。

毎日施術をさせて頂き、私より高度な不妊治療をしておられる方々と接していると、感じることがあります。

病院通いや、人工授精は大変だったけれど、無事に授かって出産までたどり着けて感謝を忘れてはいけないなぁ。と。

第二子妊娠中は[ママ命、かんしゃく激しめ]の長男と一緒でしたので、休む時間はありませんでした。

イライラが募ったり、情緒不安定になり、心が乱れる日々。

そんなことも影響してか、妊娠後期で血圧が高くなり始めました。

なんとか帝王切開は避けたいと、減塩食を徹底してみたり、歩く時間を作ったり、出来ることに取り組んでいました。

39週、予定日を間近に控えた最後の妊婦検診。

主治医から予想外の一言が告げられます。

「妊娠高血圧症ですね。尿検査でタンパクも出ているので、今から帰って今日すぐ入院してください。入院し促進剤をつかって陣痛を待たずに赤ちゃんを外へ出すことが一番の治療です。ここは総合病院なので、ひとまずは入院だけですが、町のクリニックだったらすぐに帝王切開しないといけないくらい危ないレベルです。」

ええええーーーー、私そんなに危ないのーー!?

2021年1月8日。その日の富山は35年に一度の豪雪。

大きなお腹で運転し、病院にたどり着いただけで胸をなでおろしていたのに、大雪でガタガタの道をまた家から病院まで往復しろ、と、、、!?血の気がひきました。

幸い仕事に出ていた夫が帰ってきてくれたので、病院へ送ってもらえました。

たどり着くまでにいつもの倍以上の時間がかかりました。

あちらこちらで立ち往生している車で大渋滞。除雪が全く追いつかず交通マヒ寸前。

この状況に、高い血圧が更に上がりそうでした。

不運なことは重なるもので、またまた試練が起こります。

長男が通う保育園から、保護者でコロナ陽性者がでたとの連絡。私も感染が疑われる妊婦となってしまいました。

出産する病院は感染者の指定病院ではなかった為、陰性が確認されるまでは積極的に促進剤をつかってお産を進めるわけにはいかない、との事。

PCR検査、抗原検査を受けます。

通常翌日には届く検査結果が、大雪で来る日も来る日も届きません。

個室から一歩も出られず監禁生活が続きました。

心が折れそうになった時が多々ありましたが、家族や友人から届く温かい言葉に救われました。

 

コロナ禍で立ち合いNG、面会NG。

ずっと一人で大丈夫かなぁと不安でしたが、心を決める時です。

 

陣痛が来たら自分を奮い立たせるため

”一人じゃない、心は繋がってるよ、なんとかなる、ありがとう”

と、手にマジックで書きこみました。不安な時は手を見れば頑張れそうな気がする。

我ながらいいアイデアを思いついたと感心。

 

病院では、検査結果が出るまでの4日間、時間はたっぷりありました。

出来れば促進剤を使わず、陣痛を味わって産みたい!と思っていたので、安産のツボ、陣痛を促すツボへ、持ち込んだ台座灸をして過ごします。

ただ待つだけでなく、自分の体に自分で出来ることがある。

この仕事を選んで良かったなぁと痛感しました。

 

お腹の赤ちゃんに

「いつ出てきてもいいよ~、こっちの世界は楽しいよ~、早く会いたいね~」

と、話しかけながらその時が来るのを待ちました。

結局、赤ちゃんはお腹の中が心地よかったのか、陣痛はきませんでした。

 

入院してから6日目の朝、遅れていたPCR検査の結果が届き陰性が確定。

促進剤が始まります。

注射で陣痛を促す薬を入れていきます。

当日の夕方、陣痛がきました。

そこからは津波のように、次々と下腹部に強い痛みが来ては引いていき、ものすごいスピードで進みます。

 

だめだ!もう出る!出ちゃうぅ~、そんな感覚がして分娩室へ。

 

初めの痛みから1時間50分後に出産。

ですが、「おぎゃーー」という産声が聞こえません。

早すぎるお産の進み具合についていけなかったようで、赤ちゃんは二分間呼吸をしませんでした。

【新生児仮死】という診断。幸いスタッフさんの懸命な蘇生により、赤ちゃんは泣き声をあげてくれました。

ややストレスを受けて産まれてきた次男でしたが、医師の管理のもとで順調に回復していきました。

 

豪雪の緊急入院→コロナ疑いで5日間の監禁→スピード出産で新生児仮死

お腹いっぱいなくらい色々とありましたが、私にとっての本当の試練はここからが本番…。

分娩から二時間後

後陣痛が痛すぎる。

胎児によって大きくなった子宮の筋肉が収縮し、元の大きさに積極的に戻ろうとするのが後陣痛です。

私の場合、収縮するべき血管が縮んでくれず、緩んだままでした。

助産師さんにお腹をマッサージしてもらい少し痛みが和らぎましたが、お尻を大量の温かい液体が垂れていく感覚がしました。

ドバーーーっと大量の出血。(血管が縮まないことによる弛緩出血)

次第に震えが止まらなくなり、コメカミがズキズキ痛い、血の気が引いていき気持ち悪い。

出血性ショックを起こしてしましました。

助産師さんや先生がどんどん集まってきて、処置室に運ばれます。

手早く処置をしていただき、血は止まりました。

処置をしてもらっている最中はふらふらでしたが、案外冷静に頭は働くもので、

〈よく医療ドラマでこうゆうシーンあるよなぁ。〉

〈でも私けっこう危ない状態だよなぁ。〉
〈え!もし死んじゃったら産まれた赤ちゃんに会えないの?〉
〈夫にも、ママ命だけど頑張って待ってくれている長男にも会えなくなるのは嫌!〉

 

色んな感情がこみ上げてきます。

そんな時、助産師さんが手を握って下さり

「びっくりしましたよね。もう大丈夫ですよ。」と声をかけてくれました。

温かい手のぬくもりと優しい言葉に、涙があふれました。

 

出血は2リットルだったようで、このままだと重度の貧血になる可能性がある事、産後の回復が遅れる事から集中治療室で輸血を受けました。

その後は貧血や高血圧によるむくみはあったものの、順調に回復していき退院することができました。

望んでいた自然出産ではありませんでした。

ですが、【妊娠出産は奇跡の連続で、最後まで何があるか分からない】という事を身をもって体験しました。

医療が進んでいない時代だったら、冗談抜きで命を落としていたでしょう。

現代の医療に助けられたお産となりました。

二度の妊活、妊娠、出産、産後を体験した事で、自分が辛かった、悲しかった時に寄り添ってくれた人達の存在は本当に心強かったです。

頼れる場所があるということは、支えになり、心が少し軽くなるものです。

女性に寄り添う鍼灸院を目指して

女性の一生は、ホルモンバランス、生理、妊娠、出産、ストレス、更年期などたくさんの影響を受けます。

仕事、家事、育児、介護、やる事は尽きず自分の時間をなかなか作られない女性は多いのではないでしょうか。

美容院やランチにいくように、時々はご自身の心身に目を向けてみませんか。

定期的にメンテナンスをしていくと、大きな病気や不調になる前にケア出来ることがあります。

このことを東洋医学では「未病」と言います。病院で検査値に異常がでなくても、鍼灸では出来ることがたくさんあります。

自分自身が妊娠中や産後に辛かった時、寄り添って下さった鍼灸師、助産師、医師のように、次は自分が困っている女性の力になりたいと思っています。

院名の「廣」は、苗字から一文字とった事もありますが、

「廣」の漢字には、

ひろがる
すみずみまで及ぶ
心が広く物事にこだわらない

という意味があります。

疲れている、悩みを抱えている女性に、

鍼灸ですみずみまで気血水を巡らせ、
心と体を整え、生き生きした女性が広がりますように。

そんな願いを込めました。

いつまでも元気で美しく豊かな毎日を送るために、自然治癒力を高めるお手伝いをさせて頂きます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

鍼灸マッサージ 廣-HIRO- 廣明晴美

076-460-9031
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鍼灸マッサージ廣 -HIRO-

〒930-0822 富山県富山市新屋23−3

   

■営業時間 9:00~17:00
■定休日 水・日・祝
■駐車場あります

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